育児疲れのあなたへ

育児疲れ…

退職し、望んで妊娠し、無事に産まれたことをあれほど喜んだのに、

育児疲れなんて、

なんと贅沢な悩みなのだろう。

…という「罪悪感」が、私を時々襲う。

日々流れる虐待のニュース。他人事じゃない。一歩間違えば、私も「そちらがわ」になるかもしれない。

 

昔は今ほど共働きは少なかったはず。母親が子育てをし、家事をして、家を守ると言う考えが一般的だった。その時代から「育児疲れ」という言葉はあったのだろうか。おそらく今ほど、母親が悩み、育児ノイローゼとなるということは少なかったと思う。それは拡大家族が多く身近に祖父母がいた事や、ご近所付き合いがあって、井戸端会議をすることで母親のリフレッシュに一役かっていたのではと推測する。でも今ほど育児しやすい環境や便利な物は整っていなかったはずだ。

 

こうやって昔の育児を想像をしながら、私は堕落しているのかな。もっと楽したいのか。忍耐力がないのか。と自分を責める。

だから自分の親にさえ育児疲れなんて相談はできない。

周りのママさんは子の習い事の送り迎えでいそがしく、ゆっくり話す機会もない。

 

旦那も帰りが遅く、朝も夜も子どもに会えない日がつづく。そんな旦那に相談したって文句にしか聴こえないだろう。

 

悩むということはいい母親だということ。と何かに書いてあった。

 

いや、ちっともいい母親なんかじゃない。余裕なければイライラするし、それが子に対する態度にまともに表れてしまう。すると余計に自分に腹が立つ。

 

こんなループをどう断ち切ればいいのか。

 

分かっている。ママ、ママと寄ってくるかわいい時期も、ワガママ言って駄々こねる時期も長い人生からしたらほんの一瞬だ。

でもその一瞬を笑顔で過ごせない自分にとって、それはどうしたって深い闇に感じてしまうのだ。

 

ふぅ

 

深呼吸しよう。朝、子どもの寝顔を見よう。

 

昨日のひどい態度も、強い言葉も、こわい顔も。セーブしないで、強制終了。リセットボタンを押そう。朝はいつだって何度だってやってくる。どんどんリセットしよう。

 

愛してるよ

 

そう言って子どもを起こそう。今日という日が君にとって幸せな1日であるように祈るよ。

 

そんなことぐらいしかできないけど、私母親でいていいかな。

きっと君は言うよね、「いいよ。」って。

 

ごめん、ありがとう。

 

まずは朝一番の笑顔を君に約束しよう。